「ほっ」と。キャンペーン

カテゴリ:東チベット( 17 )

f0115214_10165360.jpg

東チベットで出会ったメコノプシス・ベトニキフォリアです
日本で栽培されている青いけしのほとんどはこの種です
[PR]
12年間に渡り、中国奥地やチベットなどに出向いて、この目で確かめてきた青いけしについてまとめています。
青いけし、メコノプシスの解説ではありません。
何十年もあこがれ続けてやっと出会った私の青いけしへの想いです。
おつきあいくださればうれしいです。


↓こちらも応援いただければ(^ロ^)~~♪

海外旅行ブログランンキングへ

AOIKESI'S HPへは↓こちらからどうぞ
http://web.mac.com/ma3ko/iWeb



チベットのメコノプシス・ホリドゥラ3

2,006年に2度目に訪れた東チベットでもホリドゥラに出会った。
チベットへ行った目的はメコノプシス・プライニアナだったが・・・。
ラサに1泊したあと、観察拠点のパーイーに移動する。
その途中、東へ半日ほど走った5,030mのミーラー峠をウオッチングした。
テーマパークかと見まごうばかりにタルチョに彩られた峠で車を降りて、なだらかな斜面をゆっくり歩いていると突然目に飛び込んできた青い花。
常に強風が吹きつけている高地では背の高い植物はほとんどない。
どれも地べたをはいつくばって風から身を守るように咲いている。
そんな中で、青い花は凛と立ち上がって咲いていた。
青いけしは種類によってはっきりと棲み分けているものが多い。
特にホリドゥラはより厳しい環境にのみ咲く。
青海省では4,300mあたりで咲いていたが、ここは5,000m。
雨の少ない地で、全身にまとっている鋭いトゲに貴重な水分を集めて生きている。
標高が高いぶん、背丈はより低く、花もいくぶん小さかった。
色はより青さを増していた。
日差しが照る日中でも気温は20度前後、夜には相当冷えるのではないかと思われる。
短い夏に花を咲かせ、虫を呼び寄せて結実し、子孫を残していく。
強い風に逆らわずに揺れて咲く様にたくましさと健気さを感じた。

チベットのメコノプシス・ホリドゥラ
f0115214_13353366.jpg

強い風に体を震わせていた
f0115214_13351620.jpg

経文がプリントされているたるチョは死者への祈祷旗
亡くなった姉用に20元(300円、売り子に持ってもらった黄色い部分)でつけてもらった
f0115214_1334596.jpg

荒涼とした台地でも小さな花が咲き乱れていた
f0115214_13382554.jpg

[PR]
12年間に渡り、中国奥地やチベットなどに出向いて、この目で確かめてきた青いけしについてまとめて見ようと思います。
青いけし、メコノプシスの解説ではありません。
何十年もあこがれ続けてやっと出会った私の青いけしへの想いです。
おつきあいくださればうれしいです。


↓こちらも応援いただければ(^ロ^)~~♪

海外旅行ブログランンキングへ

AOIKESI'S HPへは↓こちらからどうぞ
http://web.mac.com/ma3ko/iWeb


メコノプシス・ベトニキフォリア2


2,005年に訪れた東チベットでベトキフォリアの他に、つぼみがまだ開かないM・プライニアナを見た。これはキングドン・ウォードが見つけて新種と発表されたものだという。
やさしい水色の花をどうしても見たかった。
2,006年7月5日、再び東チベットを訪れた。
今回はテント泊をしないでパーイーのホテルに宿泊しながら青いけしを見に行く。
日程も前年より2日ほど短縮している。
旅先でなかなか眠れない私にとって旅は短いほど助かる。
出発日の18日の違いがどう花に影響しているか、大きな期待を抱いての旅だった。
早速、良い結果が現れた。
最初に寄ったテモ・ラ峠ではメコノプシス・ホリドゥラが咲いていた。
青海省でも見ていたが、標高が高い分、花の色がさらに深くて背丈も小さかった。
セチ・ラ峠では念願のプライニアナとスペシオサがしっかりと咲いていてくれた。
(これらについては後に記す)
おまけに、局所でしか見られないレウム・ノビレもニョキニョキと伸びていた。
ではベトニキフォリアは・・・?
見ごろの固体もあったが、花の色があせているものが多かった。
何ヶ所かで観察したが、去年ほどの感動はなかった。
刈り取るほど咲いているという原っぱには行かなかったが、今年もあのオジサン、オバサンは今年も
小遣いを手にしたのだろうか。
いや、彼らにとっては小遣いなどではなくて生活費なのだろうと思う。
まだまだ未開のチベットのことだから、どこかの丘で咲き誇っている青いけしがあるのかもしれない。
誰の目にも留まらず、誰の手にも掛からず・・・。

メコノプシス・ベトニキフォリア再び
f0115214_14574443.jpg


先に咲いた花は子孫を残すため実を結んでいた
バックの青い花はムラサキ科の花
f0115214_1458555.jpg



あこがれのレウム・ノビレ
f0115214_1458381.jpg


ナムチャバルアが美しかった
f0115214_14585684.jpg


前年に訪れたときにポーターを務めた二人(男子)と集落を見下ろす峠で再会
お土産売りをしていた
写真を撮ったら右の女子がお金を請求してきたがムシした
f0115214_14591929.jpg

[PR]
個展のお知らせのためにしばらくお休みしていた「私の青いけし」を再開します。
これからもよろしくです。

12年間に渡り、中国奥地やチベットなどに出向いて、この目で確かめてきた青いけしについてまとめて見ようと思います。
青いけし、メコノプシスの解説ではありません。
何十年もあこがれ続けてやっと出会った私の青いけしへの想いです。
いつまで続くのか分かりませんが、おつきあいくださればうれしいです。


↓こちらも応援いただければ(^ロ^)~~♪

海外旅行ブログランンキングへ

AOIKESI'S HPへは↓こちらからどうぞ
http://web.mac.com/ma3ko/iWeb



メコノプシス・ベトニキフォリア1

園芸種として日本でも入手できる青いけし・メコノプシスは、べト二キフォリアを改良したものが主だ。
夏の暑さと湿気に弱い花だが、ここ、蔵王のふもとでも栽培が出来る。
苗を入手して何度か花を咲かせた。
青空の色をした美しい花びらを見せてくれる。
そのベトニキフォリアが自生しているという東チベットを訪れた。
2,005年6月17日〜26日、3泊のテント生活を含む10日間の旅だった。
イギリスのプランタハンター、キングドン・ウォードの歩いた道をたどるというもの。
いきなり標高3,650mのラサから旅がはじまる。
高所順化のためにラサのホテルに1泊。
翌日には標高5,020mのミーラー峠を越えて、チベットのなかでも豊かな緑に恵まれたパーイーに行く。
パーイーから東へ移動、セチ・ラ峠(標高4,515m)を越えて観察基地になるトンパチェへ行き、テント泊をしながらベトニキフォリアを探す。
・・・と、ここまではキングドン・ウォードの何ヶ月にも及ぶ過酷な旅のコースをいとも簡単に車で踏破した。
ガイドは冒険写真家の吉田斗司夫氏、ヒマラヤの花を求めて何度となく訪れている勝手知ったる地。ベトニキフォリアは刈り取るくらいに咲いているという原っぱの近くにテントが張られた。
ここに来る途中の道ばたで10数本の群れを見てきたが、一面に咲き乱れる青いけしとの出会いに、いやがうえにも期待は高まる。
現地スタッフがテントを張っているときに、近くに住むらしい男性が立ち寄った。
ナント!背には刈り取ったベトニキフォリアの束が・・・。
「ウッソ〜!」
思わず叫んでしまった。
1,2輪の花が咲き出したばかりのベスト状態の大きな束。
漢方薬として売れるらしい。
30元(450円)もらえるとか。
翌朝にはゴテイネイにもたった今そこから刈ってきましたというような活きのいい束を抱えた女性が現れた。
我々が買い取ってくれるとでも思ったのかも知れない。
価値観の違いだから・・・と言い聞かせながらも吉田先生をはじめ、ツアー参加者みんなのショックは並大抵なものではなかった。
テント活動1日目は落ち込んだ気分に追い討ちをかけるように雨降り。
合羽を着てブッシュの影などで難を逃れた青いけしを探した。
2日目はキングドン・ウォードも歩いたというというテモ・ラ峠(標高4,270m)への道をたどってベトニキフォリアなどを観察した。
一面のベトニキフォリアには出会えなかったが、咲き始めの初々しい固体が至る所で見つかった。
意外なことに、1〜2mにもなるベトニキフォリアは川のほとりなど、水はけは良いが湿気の多い場所を好んでいた。
背を高く伸ばすにはそれだけ水分を必要とするのではないかと思った。
この旅で1本の茎に1個の花をつけるシンプリキフォリアと、黄色い花のインテグリフォリアにも出会えた。
が、寝不足からくる高山病でギブアップしたときに、青いけしでは珍しく匂いがするスペシオサを見損ねた。
行きも帰りも立ち寄ったテモ・ラ峠ではあと2,3日で開きそうなプライニアナにも心を残した。

メコノプシス・ベトニキフォリアは湿り気がお好き
f0115214_14344633.jpg


f0115214_14343385.jpg


川の中洲にも咲いていた
f0115214_14341248.jpg


刈り取った青いけしを背に得意げなヤツ
f0115214_14335660.jpg


翌朝もまた・・・
f0115214_14333236.jpg

[PR]
AOIKESI'S HPに東チベット旅行記を2005年と2006年分を更新(リニューアル)しました。

東チベットは日本でも栽培されている青いけし、メコノプシス・ベトニキフォリアの原種が自生している地です。
2,005年に訪れたときに見損ねた花を見るために、ご丁寧にも翌年また訪れたというAOIKESI BAKA MONOGATARIです。

2,007年に北京オリンピックに端を発したチベット騒動がなぜ起きたか。
この旅行記を読んでいただくと、ちょっと・・・ほんのちょっぴり理解できるのではないかと思います。
興味のある方、読んでみてください。



人気ブログランンキングへ ('-'*)ヨロシクネ♪




↓こちらからどうぞ
http://web.mac.com/ma3ko/iWeb



ポタラ宮
中国政府の手ですっかり観光地化している

f0115214_15375851.jpg




チベット教のメッカ、ラサのジョカン寺
チベット騒動の後、僧侶の立場はどうなったのか、気になります

f0115214_1538151.jpg




地方からの信者による五体投地
今でも見られる光景か

f0115214_15384020.jpg




ラサの飲食街
このあたりでもデモがあったのだろうか

f0115214_15392930.jpg





ラサの町、この穏やかな生活は保たれているのか

f0115214_15395377.jpg




ラサの入り口にあったシンボル、ヤクの像(ボケ写真ですが)

f0115214_1540123.jpg




このおじいさんと孫ちゃんは・・・?

f0115214_15404285.jpg




ラサから5,020mの峠を越えたパーイーのさらに奥の峠でお土産を売っていたこの子らはどうしているのだろうか

f0115214_1541340.jpg


チベットにはしばらく外国人が入国出来ない状態でした。
今年からツアーが再開できるということです。
機会があったらもう一度訪れてみたいですね。
[PR]
期待していた中国当局とダライ・ラマ代理人との対話はやっぱり・・・という印象でした。
北京オリンピック妨害のすべてはダライ・ラマが指示したものだということのみを強調いていたようです。
今朝の朝日新聞にはチベット亡命政府のリンポチェ首席大臣の話として
「ダライ・ラマ代がチベット分離独立を求めていないことを認めようとしない。内政上の理由から、責任をなすりつける相手が必要なのだろう」とありました。
自分たちの立場を正当化するためには、いかなる言い分にも聞く耳を持たないというばかりか、ダライラマを「独立活動・暴力行為の先導・五輪妨害」の張本人であると悪者に仕立て上げている姿勢・・・見るたび、読むたび腹立だしくありイライラが募るだけです。
小さな希望は今後、対話継続ありということです。 
今日、6日に胡錦涛首席が来日しますが、日本政府との話し合いでの内容が読めるような気がします。
日本側は中国に迎合することなく、言うべきことはきちんと主張してほしいものです。
[PR]
昨日行われた長野での聖火リレーはやはり・・・という結果でした。
妨害が起き、それを力で押さえつける。
北京オリンピック聖火リレーのパターンになってしまいました。
漢民族にとって聖火を妨害する人はすべて悪魔とでも思っているのでしょう。
赤い人たちが一丸になって主義主張だけをがなりたてています。
根っこにある人権問題など関係な〜い!という態度です。

こうなったら聖火リレーをつつがなく終えて、オリンピックを気持ちよく成功させたいものです。オリンピックに参加する選手たちには何も関係ないのですから。
オリンピック終了後に全世界が声をそろえて、先進国に仲間入りした大国の責任を追及すればいいのです。
チベット人やウイグル人に自治権を認めること。
ダライラマ14世をポタラ宮に迎え入れること。
そしてあの見事な団結力で環境問題に取り組んでほしいものです。

ダライラマ側の代表と話し合いをすると、中国政府が表明しました。
よい方向にいくことを期待しています。


チベット自治区を訪れたときに写した青いけし
メコノプシス・ベトニキフォリア
(何度も登場しているので見飽きたという方、ごめんなさい)

f0115214_9551321.jpg


f0115214_9562327.jpg


f0115214_9583743.jpg

[PR]
チベット騒動に端を発した聖火リレーへの影響は日本にも及んできました。
チベット人の人権問題がどんどんエスカレートして、現在は独り歩きをしている感があります。

1949年、新生中華人民共和国がチベットを自国の一部と宣言、1951年にラサに解放軍を進駐させたことから中国支配が強化されていきました。
1959年にラサで大暴動が起こり、このときダライラマがインドに亡命。
さらに1966年からの文化大革命がチベットにも大きな爪痕を残しました。
この期間での武力弾圧の結果、十数万人のチベット難民が発生したといいます。
(図書館から借りてきた本でのにわか仕込みです)
以上はチベット人にとって残酷な歴史の一部です。

私が訪れるチベット自治区は人もまばらな山の中がほとんどです。
遊牧民のテント生活のほとんどは緑のある穏やかな地域です。
チベット人の人権が無視されているような、悲惨な現場を目にすることもありません。

2006年に訪れたチベット、ラサから八一鎮(解放軍ラサ進駐記念に作られた振興都市)へ行く途中の車窓から写した住宅群。
遊牧民の定住化のために作られた住宅とか。
果たして文化住宅に入った遊牧民は幸せなのか。
f0115214_15124412.jpg


八一鎮からさらに東へ進むと現れるトンパチェ村(イギリスのプラントハンター、キングドン・ウオードが滞在した)
この人たちには現在の悲劇が伝わっているのか
f0115214_151871.jpg

f0115214_15182029.jpg

f0115214_15183468.jpg


ダライラマが日本を訪れた際
「どうかチベットに行って彼らがどんな状況に置かれているかその目で見てきてください」とおっしゃっていました。
2度もチベットを訪れながら、チベット人の苦悩に触れる機会はありませんでした。
チベット人ガイドが無口だったのは言語統制?
これは思い過ごしでしょう。
去年訪れた青海省で見たおもらいさんたちは、定住化させられた遊牧民の姿だったと後に聞かされ、怒りが込み上げてきたものです。
[PR]
仙台でのチベット緊急報告会に出席してきました。
マスコミの取材が多かったので、何かしらで目にされた方も多いと思います。
主催はチベットサポート仙台(チべせん)

ラサの現地報告やチベット問題の概説や背景、モンゴル民主活動家の報告などを聞いてきました。

最近は聖火リレー妨害など過激な活動ばかりが目立ちます。
しかし、チベットを愛する人たちの願いは
「独自の文化と歴史を持つ国を消えさせてはいけない」
ということなのです。
けっしてオリンピックを阻止しようとか、デモをあおろうとかいう考えはないことを分かってほしいと思います。
それにしても中国のかたくなな態度は理解できません。

遅れて行き、バス時間の都合で途中で抜け出してきてしまいました。
不真面目な参加で申し訳なかったと思っています。
後日、もう少しくわしく報告します。


チべせんの報告
f0115214_15471652.jpg


チベットの子供たちが描いた絵
f0115214_15473036.jpg

[PR]
チベット騒乱は聖火リレーにも影響しているようです。
昨日はウイグルでも妨害がありました。
ウイグル人もまた漢族から虐げられてきた人たちです。
このことは宮本輝氏の「ひとたびはポプラに臥す」講談社
に触れられています。

昨日の朝日新聞に
開会式排斥はかえってチベットの人たちを追い込む、という投書が載っていました。
中国は誇りを重んじる国だから、オリンピック成功後に
「先進国の仲間入りしたのだから人権問題を解決しないのはふさわしくない」
と働きかけるべきであると・・・・!

聖火リレー阻止があっても、「順調にリレーが進んでいる」
と平然とニュースを流す国ですから、投書のような姿勢で当たるのもひとつの方法かと思いました。



東チベットで出会ったチベット族の子供たち
はにかんだ笑顔がすてき。
彼らにどんな未来があるのだろうか。

f0115214_1111112.jpg


ヒツジを追っていた

f0115214_1113581.jpg


黄河源流での一コマ
夏なのに雪が降った!

f0115214_1151369.jpg


タルチョの下に積み上げられたマニ石

f0115214_1153140.jpg


石のひとつひとつにお経が掘られている
このチベット語も禁止された時代があったとか

f0115214_1154669.jpg

[PR]